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2010/07/17

Human Smoke 6

NYT 1937年8月6日
 日本政府は、米人飛行士182名が、それぞれ2名づつの整備員を伴って、中国へ軍用機で飛んでいる、というニュースにとまどっている、と発表した。アメリカ人の徴募は、最近アメリカが発表した北部中国の平和への希望に抵触し、アメリカ中立法に違反している、と日本の声明はうたった。1937年8月5日のことだった。

アーベンド「中国滞在記」
 ニューヨーク・タイムズの特派員、ハレット・アーベンドは、上海最大のデパート、永安百貨店の外の車に坐っていた。1937年8月23日のことだった。
 アーベンドのアシスタントのアンソニー・ビリンガムは双眼鏡を買いに、なかに入っていた。アーベンドは煙草を吸いながら、中国人の歩行者の何人かが空を見上げるのに気がついた。一瞬ののち、大きな爆弾がデパートを直撃した。「爆弾を喰らったなかでの最悪の経験は」とアーベンドは中国の回想に書いた、「混迷へと続いた麻痺状態の時期での出来事だった。」
   四分間というもの、よほど大きな爆弾だったのか、渦巻く煙と濃い塵埃のほか何も動くものはなく、ガラス
   が崩れ落ちる音と、石壁が破砕される音のほか何も聞えなかった。四分経ったあと、怪我人がうめいたり悲   鳴をあげながら這い出ようとしていた。 
 アーベンドはびっこをひきながら、ぼんやり見えるデパートのなかへアシスタントを探しに行った。二階の双眼鏡の売り場には中国人の死体が二つ転がっていた。車へ戻ると、ビリンガムが車の後部座席にうずくまっていた。わきの下の動脈から血が溢れていた。「わたしは車のギアをローに入れ、注意深く通りをあがって行った。救いようのない負傷者をよけなければならなかったが、やむを得ず、路上に散らばった死体を砕く羽目にもなった」、とアーベンドは書いた。
 永安百貨店に落ちた爆弾ー750ポンドのイタリア製、破砕性爆弾ーは日本軍の投下したものではないことがわかった。中国のパイロットが追撃してくる三機の日本の戦闘機を見て、安全圏の2万キロ上空へ退避するため、重量減らしで爆弾を切り離したのだった。
 ビリンガムは助かった。

NYT 1937年8月29日
 日本は中国船舶に対して海上封鎖を実行した。「第三国による平和的商業貨物の輸送は完全に尊重される」、日本政府は言明した。1937年8月27日のことだった。
 米国政府所有の貨物船、ウィチタは、アソシエイテッド・プレスの報道によれば、爆撃機と有刺鉄線を輸送中だった。報道はつたえていた、この輸送は「平和的商業貨物」と日本人がみるかどうか疑問である、と。
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