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2009/05/17

Alliance - 2     (つづき)

Ⅲ    憲章騒動
 8月9日朝、プリンス・オブ・ウェールズはプラセンシア湾に錨をおろした。ホプキンスは大統領に報告するため、すでに米軍艦に乗り換えていた。ルーズベルトは、オーガスタのデッキで、帽子を胸にあててイギリス戦艦に敬意を表した。チャーチルも後甲板に立ち、海軍帽に指を添えた。甲板長の笛がひびき、水兵が歓呼の声を挙げ、軍楽隊が両国歌を吹奏した。チャーチルが乗船し、二人は握手を交わした。「とうとうごいっしょになりましたね」、ルーズベルトが言った。「ええ」、チャーチルが答えた。昼食の席へ二人は降りて行った。ホプキンスだけが伴われた。
 会話は最初は順調だったが、すぐにすれ違ってきた。チャーチルは、日本を厳しく警告するよう迫ったがルーズベルトは躊躇した。英国首相としてはこの会談で具体的な成果を持ち帰りたかったのだが、大統領は、これは相手がどんな人間か判断するだけの機会だと思っていた。続く三日間、会談は二隻の軍艦を行ったりきたりした。参戦問題については、アメリカ側は一般論に終始して、言質を与えるつもりがないことがはっきりしてきた。まるで「鮫のはびこる海岸で、海に入るのを嫌がる海水浴客」のようだった。
 アメリカの陸軍参謀総長、ジョージ・マーシャルは、イギリス人は古めかしい陰謀の専門家たちで、アメリカの国力を英帝国の盾として利用しようとしている、とみていた。英国は、「一般戦略概況」を作成し、勝利の力点を「封鎖、爆撃、破壊」に置き、1万機の航空機の供給を要請した。マーシャルは、ドイツを空から攻める考えには反対した。戦闘は、最終的には陸軍の使用なくして勝てない、と主張した。チャーチルの悪夢は、連合軍がフランスに侵入してドイツ国防軍にたたかれる、ヒトラーには二度目の風が吹き、アメリカの欧州戦争に対する世論が反転する・・場面にあった。チャーチルの脳裏には第一次大戦の大量の犠牲が離れなかったのである。
 ドイツは、ロシアを席捲し、ヨーロッパではだれからの挑戦も受けておらず、近東ではイギリスを脅威にさらし、Uボートは大西洋で暴れまわっていた。日本は東南アジアを狙っていた。手も足も出ない状況ではあったが、ルーズベルトとチャーチルは、戦場の問題にとどまらない「原則」を作ってみることにした。かれらは旗印として、偽善的ではあったが、枢軸勢力に対する戦いを「善い戦争」にする必要があったのである。作業は英米の二人の外交官、アレクサンダー・カドガンとサムナー・ウェルズに委ねられた。
 草案の、「すべての国が、世界の市場と原料に接し得る、分け隔てのない、平等な、自由の享受」云々に関して、チャーチルは、これは英連邦の特恵体系にも適用されるのか、と質問した。基本的な問題点だった。延々と議論が続き、チャーチルは叫んだ。「ミスター・プレジデント、あなたは大英帝国を解体しようとしている!」。しかし、ここで英米が合意できなければ問題を投げ出したと同じことで、この状況はそのまま戦後に残ってしまう。貿易協定は、「既存の責務に正当な配慮を払いつつ・・」締結される、という一句が加わることになった。
 ほかにも曖昧な箇所があった。「すべての人々の、政体を選択する権利・・」について、アメリカ人は植民地一般に適用する、と解釈したが、チャーチルは、これはファシスト国家に適用されるもので、英帝国に適用される筈はない、と考えた。
 大西洋憲章が発表された。アメリカは、戦争に一歩近づいたのですか?との記者団の質問に、大統領は、「ノー」と答えた。
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