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2009/07/28

Unnecessary War -第15章 英帝国を継承するアメリカ

  致命的な誤りから、人は、何か有益な教訓を引っ張りだすことがある。
  -ジェームズ・ウルフ   1757年  「ケベックの英雄」


 西洋文明の双子の破局、第一次、第二次世界大戦に、イギリスは不可欠の国家であり、チャーチルは不可欠の人物だった。カイザーが、望んでもいなかった自分の母親の国との戦争に引きずり込まれたのは、ドイツが知らなかったイギリスの秘密のフランス支援の約束の所為だった。英連邦諸国、そして日本を戦争に呼び込んだのは、1914年8月4日の、イギリスの対独宣戦布告だった。イタリアを参戦させたのは、1915年の秘密条約で、ハプスブルグとオスマン帝国の領土をイタリアに割譲する、というイギリスの約束だった。イギリスが戦争を始めなければ、アメリカが加わることもなかっただろう。
 フランス、ドイツ、ロシアの間の戦争を、4年続いた、ドイツ、ロシア、オスマン、オーストリア=ハンガリー諸帝国を包含し、レーニン、スターリン、ムソリーニ、ヒトラーの世界を生みだした、世界戦争に変えたのはイギリスである。アメリカの圧力に負けて、21年間続いた日英同盟を1922年に解消し、忠節な同盟国、日本を侮辱し、孤立させ、怒らせ、日本軍国主義を生みださせ、太平洋の第二次大戦を戦わせたのはイギリスである。アビシニア問題で国際連盟の制裁を主導し、ストレーザ戦線を潰し、孤立したムソリーニをヒトラーのもとに追いやったのはイギリスである。イギリスが強硬姿勢でパリを支援していれば、1936年、ラインランドで、フランス軍がヒトラーの大隊を追い払っていただろう。イギリスがミュンヘンに赴かなければ、ヒトラーはズデーテンランドのために戦争を起こし、ヨーロッパは団結していただろう。ポーランドに戦争保証を発行していなければ、西欧で戦争はなく、第二次大戦は起こらなかっただろう。以上が、イギリスが二つの欧州戦争を世界大戦にすることに不可欠な役割を果たした理由である。その役割はまた英雄的でもあった。しかし、それは果たして賢明だったのだろうか?

必要不可欠な人物
 1914年の戦争介入にチャーチルは主役を演じた。アスキス、グレイ、チャーチル、ハルデーンが対独戦争を世界大戦に持って行った。かれらは勝った。ナポレオン以来のライバルは敗北し、分割され、武装解除され、支払不能の債務を負った。しかし、そのコストは、70万の生命、開戦時の14倍の債務の増加、帝国各地の反乱及び一流国からの滑落だった。アメリかの世紀が始まった。第一次大戦がベルサイユを生み、ベルサイユが第二次大戦を生んだ。西欧の二つの内戦で、1億の民が戦争または戦争の生んだモンスターの犠牲となった。ヒトラーの自殺でことが終わったわけではない。スターリンの殺戮はまだまだ継続し、勝利に酔った共産主義者は、中国と北朝鮮を征服し、数千万のアジアの友人を虐殺した。
 英国自治領と植民地のすべてはアメリカの保護下に入った。母国救援に遅めに入ったアメリカは、母国の資産の所有権を主張した。ブリタ二アは、衰退の日々を海に浮かぶ小屋で過ごすことを許された。しかし、偉大なる人物は、議事堂広場にその銅像が与えられた。

アメリカはいかに勝利したか
 アメリカは当初、高みの見物だった。1939年9月3日の炉辺談話で、ルーズベルトは、「合衆国内では停電する平和などはあり得ない」、と語った。これはアメリカの戦争ではない。ノルウェーの事件、ダンケルク、フランス降伏のあった1940年、かれは、「お父さん、お母さんたち、わたしは繰り返し、繰り返し保証する、あなたがたの息子さんを海外の戦争には絶対に行かせない」、と言って再選を果たした。FDRは嘘をついた。ヒトラーがロシアに侵攻した半年後、アメリカは参戦した。
 フランス降伏後4年、独ソ戦後3年経って、アメリカは第二戦線を開設してノルマンディに上陸した。アメリカは40万を喪った。しかし西部戦線のドイツ軍は、東部の4分の1にすぎなかった。ソ連の戦闘員の死者はアメリカ人の10倍に達した。Dデイに、ロンメルとフォン・ルントシュテット指揮下に、もし70万ではなく300万のドイツ兵が存在していれば、米兵の墓標はいくつ立っていただろうか?
 アメリカは最後の幕に登場したスーパーパワーだった。長いこと同盟の外にいたおかげで、消え去った20世紀の7つの列強(英、仏、独、オーストリア=ハンガリー、露、オスマン、日本)の運命をたどらなかった。むやみに同盟を結ばない、ヨーロッパの戦争に立ち入らない、という、ワシントン、ジェファーソン、ジョン・クウインシー・アダムズの英知に学んだのである。

未経験な道すじ
 1945年、西側で申し分のない指導者としてアメリカが現われたあと、スターリンの与えるショック、反動、挑発は、1939年にチャーチルが戦争に引きずり込まれた以上のものだった。しかし、アメリカはジョージ・ケナンの賢明なる方針、封じ込め政策を採り、第三次大戦を回避した。スターリンがヤルタの約束を破ってポーランドと東欧の国民を脅したときも、米国は最後通牒を出すことはしなかった。連合軍協定に反してベルリン封鎖をしたときも、トルーマンは空輸で対処し、機甲師団とか原爆は使用しなかった。1948年、プラハのクーデターでも戦争は仕かけなかった。アメリカの答はNATOであり、ヨーロッパの西側の防衛線を赤線で引いた。
 ポーランドとチェコの運命は悲劇的だったが、両方ともアメリカにとって利権はない。1949年から1989年まで、米国はヤルタの線を越えることはなかった。1953年の東独、1956年のハンガリーの動乱で、アイクは動かなかった。フルシチョフがベルリンの壁を構築したとき、ケネディは予備役を動員したが、1年後解散した。ロシアのミサイルをキューバから撤去する取引で、ケネディはトルコからミサイルを引き上げた。1968年、プラハの春で、LBJ(ジョンソン大統領)は何もしなかった。アメリカの不作為は、臆病ではなく、核兵器を持つソ連と戦いに陥る危険を回避したのである。1981年、ポーランドの「連帯」が潰されたとき、ロナルド・レーガンは、ワルシャワとの外交関係を維持し、経済制裁を行うことをしなかった。「暴れん坊をやっつける」ことが、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフのソ連との戦争を意味するのであれば、アメリカ人は、その必要を感じなかった。チャーチルほど華々しいものではないにせよ、レーガンは冷戦に勝った。一発も銃弾を撃たずに。

チャーチルのわだちを踏む
 1989年に冷戦終結、1991年にソ連が崩壊し、アメリカは頂点に立った。ロシアは「悪の帝国」から、ゴルバチョフと赤の広場を手を組みながら歩ける国になった。捕らわれた国民にとってレーガンは解放者だった。アメリカは、経済、政治、文化、軍事の国力で地上第一位となり、自己の持つすべてを護る政策を採ることになった。
 9月11日事件以後、外交に無関心で未熟だった大統領、ジョージ・W・ブッシュは、ウィルソン流の民主原理主義に転じた。世界中を民主主義にすることが米国の安全を保障する。1942年、シュンペーターは、「マルキシズムは宗教だ」、と言った。弟子のジェームズ・A・モンテインは、民主原理主義は「むかしの宗教的情熱」そっくりだ、と言う。ブッシュは、「人は味方でなければテロリスト」、「この戦いは善と悪の戦いだ」、「悪の信奉者には・・国家もなく、思想もない、あるのは憎悪だけだ」、「アメリカの究極の目的は・・世界から暴虐をなくすことだ」、と言った。アメリカは、ソールズベリーやバルフォアのイギリスに似てきた。敵がいたるところに現われ始めた。
 ラテン・アメリカで、カストロは、ユーゴ・チャベスという後継者を得た。中東ではイスラム諸国民がアメリカを追い出そうとしている。イラクとアフガニスタンでは泥沼にはまり込んでいる。悪の枢軸のパートナー、イランによって挑発されている。中国は、英国に対するカイザーのドイツのような役割を始めている。
 ケナン、アイゼンハワー、レーガンの知恵に学ばず、失墜したイギリスの愚行を真似ようとしている。9月11日のあと、ネオコンがイラクで進めたことは、グレイとチャーチルが、ドイツのベルギー中立侵犯に対して採ったことと同じである。ポーランドにチェンバレンが与えた戦争保証は、ワルシャワ機構6ヶ国とバルト三国、(今後ウクライナとグルジアが加わる)に与えられ始めたNATOの保証と同じものである。敵対的なモスクワ政権がこれら諸国を再支配するとすれば、アメリカは宣戦するかも知れないが、バルト三国の独立に、アメリカの利益はなく、核武装したロシアと戦う価値はないのである。
 イギリスがバランス・オブ・パワー政策で、ヨーロッパの支配者を許さなかったように、2002年の米国国家安全戦略は、アメリカ優位への挑戦は許さない、と宣言した。しかし時間は止らない、アメリカ人が歴史の歩みを止めることはできないのだ。英国が日本とイタリアをヒトラーのもとに追いやったように、アメリカは、グルジア、ウクライナ、ベラルーシに手を出し、中央アジアに基地を設けることで、プーチンのロシアを中国に近づけている。
 オスマン帝国を敗ったあと、イギリスがイラクで帝国主義戦争を試みたように、アメリカはソ連に勝ったあと、イラクで戦争を始めた。アメリカがこれほどまで海外にコミット(入れ込む)する前例はない。しかも現在、現役兵力は総人口の0.5%であり、1945年5月の兵力の9分の1である。われわれアメリカ人は、いま、ウォルター・リップマンのいう「外交破産」に近づきつつある。わが国の戦略、武装、同盟国上の資産は、中南米、バルト海沿岸、バルカン、中東、湾岸、日本、韓国、フィリピン、オーストラリア、台湾に対する戦争コミットメント上の負債をカバーしきれなくなっている。二つ三つの証書の決済が迫られれば、世界にアメリカの外交政策の破産が示されてしまうのだ。
 1939年の英帝国のごとくアメリカは伸びきっているが、この星すべてを民主化する、すべての国民の社会正義、人権の水準を自国の標準にあわせ、「世界の暴虐を終わらせ」ることが、アメリカの政策である、と宣言している。 
 この役目を世界中に示すため、ブッシュ大統領は、オーバル・オフィスに、ウィンストン・チャーチルの胸像を飾っていたのである。
   
                                           (了)
 

 
  
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