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2009/06/07

Alliance - 20 (つづき)

Ⅲ 2月4日
 2月4日朝、列車で到着したスターリンは、チャーチルとルーズベルトを別々に訪問した。チャーチルには、ソ連軍がオーデル川を越えて橋頭堡を確保したことを伝えた。そこはもうベルリンに80キロの地点だった。
 ルーズベルトはリバディア・パレスのエントランス・ホールの次の間でスターリンのためにマルティ二を作った。レモンの皮のないことを詫びたが、翌朝、アメリカ人たちはグルジアから空輸された、200個の実をつけた巨大なレモンの木をドアの傍に発見した。スターリンはチャーチルにした同じ話をしたが、厳しい戦闘で赤軍も立ち往生している、とつけ加えた。ルーズベルトは、アイゼンハワーは3月まではラインを渡河しないだろう、と言った。
 ビッグスリーの軍人も加えた第1会合で、スターリンは、赤軍は連合軍の一員としての義務を越えて、アルデンヌの攻勢で打撃を受けた英米軍救済のため、計画以上の速度で前進する、と述べた。ロシア側が、ドイツの輸送路をもっと空爆するよう要請すると、英米は、ベルリン、ライプチッヒ、ドレスデン空襲の増強を約束した。
 サミットの最初の晩餐はアメリカが主催した。ルーズベルトとチャーチルがおたがいの電信連絡のなかで、ソビエト指導者のことを「アンクル・ジョー」と呼んでいると、ルーズベルトが披露すると、気まずい雰囲気となった。テヘランでこの綽名を口にしたときには拒絶反応はなかった。国家動員局長、ジェームズ・バーンズがこの場を救った。「アンクル・サムと言ってもだれも何とも思わないのに、アンクル・ジョーはどうしていけないのですかね?」スターリンは沈黙した。モロトフが後刻、ボスがジョークを理解した、と告げた・

Ⅳ 2月5日
 毎日、リーダーたちは午後4時から3、4時間顔を会わせた。司令官たちは午前中会議をした。外相たちは昼食で集まったが、乾杯の応酬で議論が遅れた。きちんとした議題があるわけではなかった。問題は取り上げられたり、落とされたり、延期されたりした。これがルーズベルト風というもので、問題を沸騰点の前に消して行く効果がある。国務省は詳しい「閻魔帳」を用意していたが、ルーズベルトがこれに目を通していないことは明らかだった。スターリンはほかの二人が何を考えているか、英国のスパイ網と、ワシントンの「もぐら」たちによって、よく知らされていた。
 ドイツ問題では、ルーズベルトがテヘランで描いたように五つに分けるか、チャーチルがモスクワ訪問で主張した、プロシア、オーストリア=バヴァリア連邦、ルール及びウェストファリアの国際管理地域の三つとするか、議論されたが結論は出ず、軍事情勢にまかされる形となった。パリは、ドイツを押さえる役目を果たさなければならない、とチャーチルは述べた。「大統領のご意見は?」とスターリンが訊ねた。「平和について国民と議会に協力して貰わなければなりませんが、ヨーロッパに軍隊を長くおくわけには行きません。精々2年でしょう」。スターリンは、フランス人には助けて貰うとしても、管理面で機能することには反対した。
 モーゲンソー・プランはお蔵入りになったが、スターリンはマイスキーに厳格な賠償案の作成を命じた。重工業の80%となる工場、機械、在庫品は2年以内に移送される。現金賠償は10年で支払う。航空機を含む武器製造工場はすべて国外へ移す。チャーチルは第1次大戦後の賠償問題を想い起した。車を動かすのに馬を使うのであれば、少なくとも餌は与える必要があります、と言うと、スターリンは、そうです、しかし馬が振り向いて、蹴飛ばされることのないように注意をしなければなりません、と答えた。

Ⅴ 2月6日
 この日の議題はルーズベルトが力をいれる世界機構問題だった。ワシントンが2ヶ月前にあらかじめ送っておいた安全保障委員会の決議手続案をスターリンが全然呼んでいなかったことにアメリカ・チームは驚いた。機構が英米中ソに対抗する行動を取っても、拒否権のシステムが、実質的にその行動を無力化する、ということをチャーチルはスターリンに請合った。「もっと障害物が作れませんか?」とスターリンが聞いた。列強の間の信頼関係が違ってきたのです、とルーズベルトが答えた。「世界中の圧倒的多数の人々の善意が支配する平和」が前提とする趣旨、とルーズベルトが説明すると、スターリンは、新しい機構がソ連の防壁の一部の機能を果たし、モスクワに対する西側の反発の道具とならない保証が欲しい、と言った。ルーズベルトはいま返事はしないことが得策と判断し、もっと研究すると述べ、よりデリケートな問題、ポーランドに移った。
 スターリンはポーランドの安全保障はソ連の生死に関わる問題である、と強調した。そして自国がポーランドと取り決めた新しい国境は、第1次大戦後英仏によって唱導されたものであることを指摘した。ルブリン委員会は少なくともド・ゴールと同じ程度の民主的基盤を持っている。赤軍はドイツの後方に安全地域を確保する必要がある。しかし、ロンドンのポーランド人の一味が赤軍を攻撃している。会議は24時間延期された。
 ルーズベルトはチャーチルと協議した。ルブリンから代表2名、他のポーランド人グループから2、3名をヤルタに呼び、自由選挙の準備をする共同暫定政府設置の協議をさせたらどうか?と提案した。ポーランド問題で不協和音が表に出ると、米国世論がモスクワとの協力関係に否定的に転じ、国際連合構想を危殆にさらす危険があった。ルーズベルトは同盟の断層線に手をかけた。
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