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2009/05/28

Alliance - 13     ピラミッド

 カイロ
 1943年11月21-26日
ー仲間のあるものは、上陸作戦が成功するのか疑い始めている。   ホプキンス


11月11日、ルーズベルトはホワイトハウスを出た。プラセンシア湾行きのときの消失トリックが再現された。かれは専用ヨット、ポトマックによるクルージングとみせかけて、実は戦艦、アイオワに乗艦し、3隻の駆逐艦と、2隻の航空母艦による空の護衛を伴って大西洋に向かった。艦内の作戦会議で、ルーズベルトはナショナル・ゲオグラフィックのドイツの地図に三本の線を引き、各国の占領地域を示した。アメリカの占領戦力におおむね100万は必要だろう、と言った。どのくらいの期間になるか、と聞かれ「少なくとも1年。2年かもね」と答えた。チャーチルはプリムスから巡洋戦艦、レナウンに乗った。副官として、婦人航空部隊にいる娘のサラを伴った。彼女はミュージカルのダンサーとなり、フレッド・アステアの映画、ロイヤル・ウェディングに出演している。チャーチルはいささか「鬱状態」に陥っていた。
 米ソは、チャーチルを蚊帳の外において交信していた。スターリンは相変わらず英米二国に秘密協定があるのではないか、と疑っており、三巨頭には依然、たがいに疑心暗鬼が残っていた。その間、ワシントンには親ソ的流れが定着しつつあり、国務省ロシア課長、ロイ・ヘンダーソンは自分の現実的な分析評価が無視されたことで辞職した。ルーズベルトは、カイロにモロトフと赤軍の代表を招くことで、ソ連に「誤魔化し」がないことのあかしにするつもりだった。しかし、スターリンは、同様に蒋介石も招かれていることを知って、外相の派遣を断った。日本との関係で、中国との同席は依然回避する方針だった。
 カイロの会議では、マーシャルが主役を演じて、まるでアメリカが連合軍の立ち位置を決めて行く感があった。チャーチルは、ロードス島ほかエーゲ海諸島攻撃案を持ち出した。マーシャルは、「アメリカ兵は一人といえどもあんなくだらない浜辺で死のうとは思っていません」、と応酬した。アメリカはビルマでの二段攻勢、中国軍による雲南国境を越える陸からの攻撃と、アンダマン海の海からの攻撃をするつもりだった。
 先に到着していた蒋介石と妻の宋美齢は、ルーズベルトが到着すると、その午後早速訪問し、夜も二回目の会談を行った。マダム蒋は、セックスと政治が両立する風変わりな性格を持っており、その双方を利用している、とブルックは評している。3リーダーの集合写真には彼女も入り込んでいる。蒋介石とルーズベルトの会話では、満洲、台湾、澎湖諸島が中国に返還されるべきことが合意された。琉球諸島はソ連と分割されるだろう。蒋は、90個師団用の武器貸与、10億ドルの借款、そして日本爆撃用の四川省の航空基地建設の労働者賃金として1億ドルの資金支出を要請した。ルーズベルトはビルマに対する海陸作戦を保証した。しかしかれは、なぜ20万の国民政府軍が日本軍と戦わず、北方で共産軍を包囲しているのか、を訊ねた。アメリカの銀行に5億ドルの援助資金をおいたままで、10億ドルがなぜ必要なのかも聞いてみたいところだった。
 蒋介石が連れてきた幕僚長たちが、支援についての「権利」という言葉を使ったとき、マーシャルが聞きとがめた。「率直に言わせてください。みなさんは、権利と仰るが、これらはアメリカの飛行機であり、アメリカの兵員であり、アメリカの物資と考えています。あれこれ、われわれが出来るとか出来ないとか、あなたがたが仰る意味がわかりません」、と言った。
 フラストレーション漬けだったが、チャーチルにはルーズベルトとの友情をよみがえらせる機会が二回あった。一度、サラに準備させて、ルーズベルトとピラミッド見物に行った。またルーズベルトは感謝祭の晩餐に、サラとチャーチルを招いた。蒋は招ばれなかった。ルーズベルトの息子、エリオットと義理の息子、ジョン・ボティンガー、それにホプキンス、ホプキンスの息子で軍人のロバートが同席した。アメリカ陸軍軍楽隊が、チャーチルのリクエスト、「オールマン・リバー」「懐かしきヴァージニアへ」を演奏した。ルーズベルトは「ドーバーの白い崖」をリクエストした。レコードがかけられ、唯一の女性、そしてダンスの名手、サラは引っ張りだことなった。
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