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2010/10/18

Human Smoke 33

ロイヤル・レオナード「わたしは中国のため飛んだ」
 ロイヤル・レオナードはアメリカで爆撃機の乗員を募集するため中国を離れた。1941年12月の初めだった。「シェンノートとわたしで日本の爆撃計画をすでに用意していた」、とかれは書いている。「アメリカ政府は少なくとも27機の、爆弾満載で航続距離2000マイルの新型軽量ハドソンを供給してくれることになっていた」。しかし、何か別のことがハワイで起こってしまった。「わたしたちの夢、長崎爆撃は実現しなかった」。

NYT 1942年4月22日 
日本ではクリスチャン平和主義者、賀川豊彦博士が、メソジスト神学者でガンジーの弟子であるスタンレー・ジョーンズから電報を受け取っていた。ジョーンズは太平洋で破局が起こらぬよう祈っていることをつたえ、同じことをするよう賀川に要請した。賀川は200名をしたがえて、夜も昼も祈り続けた。1941年12月1日のことだった。

アルバート・C・ウェデマイヤー「第二次大戦に勝者なし」
議会報告 1941-42
NYT 1941年12月5日

 シカゴ・トリビューンの記者にだれかがルーズベルトの勝利の計画の全文をリークした。
 トリビューンとその姉妹紙、ワシントンのタイムズーヘラルド(両紙とも反ルーズベルトで孤立主義)は大きな見出しを掲げた。
      FDRの戦争計画!
      目標は、1千万の動員
      その半数は、A.E.F.へ (A.E.F. とはアメリカ海外派遣軍の意味である)

 「この驚くべき書類は」、とトリビューンの記者は書く。「文明社会の全国民の運命を定める決定を示す。少なくとも二つの大洋、ヨーロッパ、アフリカ、アジアの三大陸を巻き込む前例のない全体戦争の青写真である」。1941年12月4日付けの遅番に出たニュースである。
 原案のほとんどを策定したアルバート・ウェデマイヤーは狼狽した。「わたしがここ数ヶ月というもの、夜を日に継いで腐心して作った勝利の計画の核心の部分を、トリビューンの記者はそっくり出してしまった」、とのちにかれは記している。
 その計画は長期にわたる息の長い計画で、最初の陸上攻撃も1943年までは見込まれないものだった。それはドイツ国民に対する、飢餓、爆弾、宣伝による戦争だった。「枢軸国民の戦意は失われて行く、そして破壊活動、プロパガンダ、人命喪失で信頼が打ち壊される」。日本について、アメリカは「戦略的な手段」を使用して行く、とあった。
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