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2010/09/15

Human Smoke 24

NYT 1941年7月25日
 ルーズベルト大統領は、義勇兵調整委員会の防衛グループとホワイトハウスで話をしていた。1941年7月24日のことだった。
 国内のあちこちに土嚢をおく必要が出てくるだろうね、かれは言った。それから正しい情報を出すようにしないと。「国民にはわかりにくい問題が沢山ある」。たとえば、「新聞では、ロサンゼルスー西岸ーから日本へガソリンが何千トンも輸出されている、という報道があるというのに、なぜわたしがガソリンを節約してくれ、というのだろうか?」
 答は簡単なのだ、と大統領は言った。「われわれが石油の供給を止めていれば、日本人はオランダ領東インドへ一年前から石油を獲りに行っていただろう。戦争になっていたはずだ」、とかれは説明した。「南太平洋から戦争を始めてはならない、という、われわれの防衛のための利己的考えというものも大事なのだ。だからわが国の対外政策はーそこから戦争が始まることを防ぐものだったのだ」。
 「わが国の対外政策は~だったのだ」-ルーズベルトが時制に過去形をつかったことに記者は注目した。

NYT 1941年7月8日
NYT 1941年7月25日
レオ・P・ブロフィーほか「化学戦部隊:研究室から戦場へ」
ブルックス・E・クレバー、デイル・バードセル「化学戦部隊:戦場の化学」

 コロンビア大学の化学教授、エンリケ・ザネッティ大佐は、合衆国陸軍化学戦部隊の現役に所属することとなった。1941年7月のことである。
 ザネッティは燃焼作戦の専門家だった。かれの燃焼兵器への関心は、第一次大戦から始まり、イタリアのエチオピア侵攻で促進された。-ニューヨークヘラルド・トリビューンの記者がイタリアの燃え残りの爆弾のサンプルを提供し、かれはそれを調べて化学戦部隊に手渡した。1936年にザネッティは、火は「忘れられている敵である」、と書いていた。-大都市にとっては毒ガスよりも危険である。「ガスは霧消して行くが、火災は拡散して行く」。小さな焼夷弾はそれぞれが「オ・レアリー夫人の牛(注、1871年のシカゴ大火の原因といわれている)」を抱えている。とくに貧民街は弱い、とかれは指摘する。国家防空計画の要は貧民街の撲滅にある。
 さて、1941年夏、ザネッティは化学戦部隊の新しい焼夷弾作戦室の担当となった。かれはロンドンへ赴き、爆弾の設計者と会った。かれは設計図、製造技術、およびイギリスの4ポンド・マグネシウム爆弾の処方を持ち帰った。それはとくべつ、屋根をうまく貫通するように出来ていた。
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