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2010/11/25

Human Smoke 39

ハロルド・ニコルソン「戦争の日々、1939-1945」
 サイゴンから飛び立った日本の急降下爆撃機がプリンス・オブ・ウェールズを沈めた。この戦艦は、チャーチルがルーズベルトと大西洋憲章に調印するために乗った船だった。乗員はその半数が死んだ。1941年12月10日のことである。
 オックスフォード・サーカスを横断していたハロルド・ニコルソンは大きな掲示を見た:プリンス・オブ・ウェールズとレパルス撃沈さる。交差点は人の波で埋まった。「急いでビフテキ食べないと」、とニコルソンは日記に書いた。「シェリーを一杯やって元気を出そう」。

ジョン・へインズ・ホームズ「独白録」
NYT 1941年12月15日 
 ニューヨークのコミュニティ・チャーチで平和主義者の劇作家、ジョン・へインズ・ホームズは、真珠湾以後初めての説教をした。「国益を守るアメリカ人にとって何よりも問題があることは、報復、復讐、懲罰、敵討ちです」。「このような行動からは何も善いことは得られません。ただ災厄と途方もない破滅をもたらすだけです」。かれは勝者が敗者と同じレベルに陥るローマの勝利についての聖アウグスティヌスの言葉を引き合いに出した。そして「わが世の文明の貴重な宝がいま失われようとしています」、と言った。1941年12月14日のことである。

マーチン・ギルバート「チャーチルの戦争記録」
 チャーチルは戦争の今後の展開について参謀長たちにメモを書いた。「日本人に自分たちのやったことを思い知らせるためには焼夷弾をつかって日本の都市を燃やすことがもっとも有効だろう」。1941年12月20日のことだった。

ライフ 1941年12月22日
 雑誌ライフは日本人と中国人の見分けかたについて記事を載せた。1941年12月22日のことだった。 中国人はまっすぐな鼻梁と薄黄緑の肌を持っている。そしてどちらかといえば背が高くほっそりしている。一方、日本人はパグ(狆)のような鼻を持ち、がにまたであり、土着の祖先の体形とも似ていない。「現代日本人は有史以前に日本列島を侵略したモンゴロイドの子孫で、その前から住み着いていた原住民と混交した」。この記事の次に掲載されていた写真は、日本の首相、東条英機のものだった。

デヴィッド・E・リリエンソール「デヴィッド・E・リリエンソール日記」
モラン卿「チャーチル」
 テネシー渓谷公共事業体(TVA)理事長のデヴィッド・リリエンソールは合衆国上下両院合同会議でウィンストン・チャーチルが演説するところを聞いていた。スピーチは傑作だった。韻の踏み方、想像力のかきたて方、でかれがこれまで聞いた名演説のうちの一つ、とかれは思った。まるで「イギリスのライオンの怒号のように聞えた」。
 「日本は確実に罰せられる、とかれが保証したとき」、リリエンソールは日記に書いた、「満場が沸いたーこの戦いで初めて聞いた血戦への決意だった」。
 チャーチルは庭づたいにホワイトハウスへ戻っていた。最初自分のスピーチがどうだったか気にしていた。かれは主治医のモラン卿に訊ねた。大好評だったことがわかった。「わたしはいつも的を外さないのだ」、かれは言った。1941年12月26日のことだった。
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