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2010/11/03

Human Smoke 36

ハリー・エマーソン・フォスディック「そのころの日々」
真実の歴史センター:WWⅡ(第二次世界大戦)
 反戦運動家、ハリー・フォスディック師は、リバーサイド・チャーチの塔にある書斎で、マイクロフォンを前にして坐っていた。かれはNBCラジオの毎週の国民の夕べの祈りをしているところだった。聖歌隊が「来たれ、来たれ、エマニュエル」を歌いおわったところだった。日付はまだ1941年12月7日だった。
 「このラジオを聴いていらっしゃるみなさんは、みなさんのことを嵐のなかに立つ木々のように思っておられるところでしょう」、とフォスディック師は語った。「今日その嵐はますます吹き荒れてきました」。
 アナウンサーが割り込んで、ルーズベルト大統領が、真珠湾攻撃を受けて閣議を招集したことをつたえた。ラジオはホノルルからの中継に切り替わった。「これはジョークではありません、本当の戦争なのです」、ホノルルは叫んでいた。中継はホワイトハウスに替わった。リポーターのH・R・ボーケージが、サンフランシスコから1300マイルの彼方で巨大戦艦が撃沈され、「米国海域で」日本の潜水艦が活動している、とつたえた。
 つい前日、ボーケージは日本の特命大使、来栖三郎とインタビューし、来栖は日本人の90%が戦争に反対しているーしかし、大多数は中国での戦いは支持している、と語ったばかりだった。ボーケージは、二年前、ベルリンの放送センターからヒトラーのポーランド攻撃開始をつたえたことを思い出していた。「そのときの感情とまったく同じものを味わった」。「国民全体に大打撃を与える」。
 聖歌とともに夕べの祈りが戻った。そしてボーケージが、大統領秘書のスティーブン・アーリーから、日本の天皇あてにルーズベルトが認めた書簡のコピーを手渡されたことを告げた。-そこには暗雲を追い払う手だてがまだ残されていることへの強い希みが述べられていた。
 ボーケージはマイクの前で、ルーズベルトの長い手紙を、穏やかな、歌うような口調で読み上げた。それはまるでお説教のように聞えていた。

ジョン・モートン・ブラム「モーゲンソー日記より」
 ヘンリー・モーゲンソーは、海軍長官のフランク・ノックスから真珠湾攻撃の損害報告を受けていた。「ノックスは何かに脅えているようだった」、とモーゲンソーは日記に書いた。「かれらは全艦隊を一箇所に集めたようだーこのちっぽけな真珠湾に全艦隊を。かれらとて説明がつかないだろうが」。

エドガー・アンセル・モウラー「勝利と苦難:わが時代の個人史」
 その夜のワシントン、エドガー・モウラーは眠れなかった。かれは思った、マニラのバーにいた男は正しかった!「海軍委員会の連中が日本艦隊の動向を知っていたのならば、なぜ、大統領も、戦争を見込んでいたノックス、スティムソン、ハルもそれを知らず、何の手も打たなかったのか?」
 そしてモウラーは気がついた:「合衆国への直接攻撃以外に参戦を強いるものはなかったのだ!チャーチルとTV宋が待ち望んだ『転換点』が来たのだ」。
 モウラーは結論づけた、日本の戦争屋たちが自由世界を救ってくれたのだ、と。

 フィリピンのルソン島にあるクラーク米軍基地に日本の空軍機が向った。パイロットたちは地上に駐機している一連の戦闘機とB-17空飛ぶ要塞を眺め渡した。爆弾がその半数を破壊した。1941年12月8日のことだった。
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