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2010/10/07

Human Smoke 29

NYT 1941年10月18日
アルバート・C・ウェデマイヤー「第二次大戦に勝者なし」

 ルーズベルト大統領は、徐々に自分の新しい戦争計画、勝利の計画の内容を洩らしはじめた。1000億ドルを使って12万5千機の航空機を作る。合衆国の生産能力の半分は兵器生産にまわす。「信じられない数の戦車が作られる」、ニューヨーク・タイムズが報じた。1941年10月18日のことだった。
 ウォールストリート・ジャーナル紙のワシントン支局長、ユージン・ダフィールドは、戦車の意味をよく考えて、翌日長い記事を書いた。「戦車と兵器を強調することで、『勝利の計画』は、ドイツを屈服させるだけの長期戦、外洋封鎖を考えているものではないことを明らかにしている」、とダフィールドは書いた。この計画は、「18歳から45歳までの三人の一人」のアメリカ人を兵隊にするつもりだ、とかれは続けた。

NYT 1941年10月23日
 世界で三番目の大都市、人口650万の東京は、防空演習を行った。1941年10月22日のことである。
 「日本はアメリカなり他国なりにお世辞を使うことはない。戦争か平和か、充分に自分の力を心得ている」、とジャパン・タイムズ・アドバタイザーは社説に書いた。しかし、平和の可能性はまだあった。「問題は悪意のあるプロパガンダにある」、社説は書いている。英米の新聞はセンセーション好きの世論に迎合している。「大衆の心は、不信、猜疑、露骨な憎悪に満ち満ちている」。

リリアン・T・モウラー「ジャーナリストの妻」
 ジャーナリストのエドガー・モウラーはマニラのバーで、海軍委員会勤務の一人の男といっぱいやっていた。1941年10月の下旬だった。モウラーはドノバン大佐のスパイをつとめていた。
 ドノバンはモウラーに、「君は新聞記者として出入り自由になる」と語っていた。モウラーはこれまで、シンガポール、ジャワ、タイ、ビルマ、重慶、ホンコンに行っていた。いまかれはフィリピンの首都にいる。
 バーにいた海軍の男はアーネスト・ジョンソンといった。かれはサンフランシスコに娘が一人いる、と言った。かれはもう娘には会えないものと思っていた。「ジャップはわたしが逃げ出す前にマニラを落とすだろう」、ジョンソンが言った。
 「マニラを落とす?」、モウラーは言った。「それは戦争じゃありませんか」。
 ジョンソンはうなづいた。「ジャップは艦隊を東へ動かしている。多分真珠湾をやる気じゃないのかね?」。

 
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