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2010/09/05

Human Smoke 21

NYT 1941年7月15日
アレクサンダー・カドガン「サー・アレクサンダー・カドガンの日記」

 ウィンストン・チャーチルはハイド・パークのテントの中に立って、6千人の市民防衛隊の観閲式に臨んでいた。1941年7月14日のことである。空襲警戒部隊、担架部隊、婦人志願部隊、毒ガス汚染浄化隊などなどがあった。「素晴らしいイングランドの夏の朝、全員は縦横に行進している」、とチャーチルはラジオで告げた。ロイヤル・エア・フォース(イギリス空軍)がヒトラーのイギリス侵攻計画を挫いたので、九月になると、ヒトラーはイギリスの都市の空襲を始める。ロンドンは壊滅するか?答はノーだ。2万人殺されようと焼け野原になろうと、ロンドンっ子は不敗である。「ロンドンは広い、そして前史時代のモンスターの如く、雨あられのように矢が飛んできてもへこたれない」、とチャーチルは言った。
 チャーチルはヒトラーに向けて直接言った、「貴君は抵抗のないところで獰猛になっている、無差別爆撃を行っているのは貴君だ」、ワルシャワで、ロッテルダムで、ベオグラードで、ロシアで。「われわれは貴君らのようなならず者と交渉する気はまったくない。貴君らは最悪のことをやっているーわれわれは最良のことをやるのだ」。
 そしてチャーチルはもう一つ、報復の言葉を加えた。「いまや、ドイツ人は、自分たちが隣人や世界に与えた同じような苦痛を、自分たちの故郷で、町で被ることになるべきである」。

   毎月毎月、大型爆撃機が工場から出てきて、大西洋を渡る。
   容赦なく高性能爆弾をドイツにお見舞いするぞ。

 かれは続ける。ここ数週間だけで、この容赦ない空襲は、これまでドイツがイングランドに落とした爆弾の半分をドイツに落とした。しかしこれは始まりに過ぎない。爆撃は続く。「月を追って、年を追って、ナチ体制が、われわれによって、またはドイツ国民自身によって粉々に粉砕されるまで」。
 その夜、サー・アレクサンダー・カドガンは外務省に遅くまで居残った。「傍受した約7通の日本の電信によれば、お猿さんたちは、インドシナに基地を設置すると決めているー今月20日までに」、と日記に書いた。
 
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