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2010/08/31

Human Smoke 20

NYT 1941年6月10日
 最高指揮官として非常時特別権限を握ったルーズベルト大統領は、陸軍省に、ノース・アメリカン航空会社を接収するよう命令した。「国家は危険に曝されている」、大統領は言った。「航空機を製造している男女は、国防に不可欠の分野を担っている」。1941年6月9日のことだった。
 その朝、工場の正門前には千名ほどのスト参加者が集っていた。だれかが言った、「ほら、軍隊がきたぞ」。先日まで中国に派遣されていた兵士たちがトラックから飛び降りて整列した。「列は少しずつ動いた。暑い早朝の光が銃剣にきらきらと輝いた」、とニューヨーク・タイムズは書いた。一人の参加者が銃剣で腿に深傷を負った。
 ストライキが鎮圧されると、一人の中佐がマイクを握り、合衆国政府の名において、陸軍の航空部隊が工場を接収したことをアナウンスした。
 海軍長官のフランク・ノックスは喜んだ。ストライキを破ったことは「はかり知れない心理的効果をもたらした」、と友人に手紙を書いた。「これで心配の種は、もとからなくなって行くだろう」。
 エレノア・ルーズベルトは夫の行動について質問された。「こういうことをしなければならないときは、いつも悲しくなるわ」、と彼女は言った。
 
 
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2010/08/28

Human Smoke 19

NYT 1941年6月9日
NYT 1941年6月8日
NYT 1941年6月7日
ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン 1941年6月7日

 アメリカ作家連盟はニューヨークのホテル・コモドアで年次総会を開催した。ダシェル・ハメットが会長に選出された。リチャード・ライトのネイティブ・サンが本年度最優秀作品に選ばれた。セオドア・ドライザーは平和賞を受けた。リリアン・ヘルマン、クリフォード・オデッツ、オーソン・ウェルズが発起人だった。1941年6月6、7、8日のことだった。
 連盟はアメリカの戦争の介入に反対した。「今日、わが政府と大企業の政策、方針が戦争とファシズムに抵抗するという名目のもとに、戦争とファシズムに向おうとしているのかを問わなければならない」と連盟は宣言した。連盟の会員は、ノース・アメリカン航空会社のストライキを支持した。かれらは、アメリカ第一運動の委員会をファシストと呼んだ。かれらはホワイトハウスの前でピケットを張るアメリカ平和集会に会員を送り込むことを決めた。
 リチャード・ライトは言った。「いまの戦争が明らかに帝国主義戦争であるという証拠が揃っている。これは世界中の黒人や労働者に向けられた戦争なのだ」。


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2010/08/25

Human Smoke 18

NYT 1941年6月6日
 ロサンゼルス空港近郊の航空機製造工場で、1万1千名の労働者がストライキに入った。1941年6月5日のことだった。工場は、爆撃機、戦闘機、練習機を作っていた。ノース・アメリカン航空会社が経営していた。労働者は給与の10%アップと、最低賃金を時間当たり、50-75セント引上げることを要求していた。会社は、アメリカとイギリス政府から約2百万ドルの受注を抱えていた。
 「とにかくこの大事なときに、できるだけ早く国家が必要とする爆撃機を引き渡せるよう、生産を再開させることだけがわれわれの望みだった」、とノース・アメリカンの社長、ジェームズ・キンドルバーガーは述べた。
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2010/08/19

Human Smoke 17

NYT 1941年5月24日
 ニューヨーク・タイムズの第3ページに、アメリカで訓練を受けている中国空軍についての記事が意図的に洩らされた。1941年5月24日のことだった。
 「中国人パイロットは外国人教官に訓練されており、日本の戦闘機に対抗する準備が出来ているようだ」と匿名の記者がつたえている。「中国はアメリカとイギリスから多数の戦闘機、爆撃機の供給を受けており、日本への報復攻撃実施が期待されている」。中国共産党員もこれに加わっている、とつたえられている。かれらは重慶政府に「アメリカ製爆撃機と戦闘機の即時引き渡し」を要請した。 
 記事の小見出しには「重慶の新展開、日本の都市を爆撃か」、とあった。


NYT 1941年5月26日
 レポーターのウォルター・ドゥランティは、日本の旅からホノルルに戻ってきて断言した。「東京に滞在中、日を追うごとに日本は石油の供給が断絶されないかぎり戦争に走ることはない、という確信を深めた」、とかれはニューヨーク・タイムズに書いた。結局のところ戦争することのリスクは高すぎる:「薄っぺらな木と紙の日本の町は焼夷弾にはひとたまりもあるまい」。1941年5月26日のことだった。
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2010/08/16

Human Smoke 16

ケネス・ソーンダーズ「賀川豊彦、日本の聖フランシスコ」
 著述家でクリスチャン改革主義者の賀川豊彦博士は、日本人牧師、阿部義宗とロックフェラー・センターでニューヨーク・タイムズ記者と面談をしていた。1941年5月14日のことだった。
 賀川は、伝道施設で教育を受けた孤児で神戸のスラム街に住む。1940年、平和主義の宣撫の科で短期間獄につながれた。あるものは、かれを、日本のガンジーと呼び、ある作家は、「文学において日本のゴリキー、信仰において日本の聖フランシスコ、貧民に対する愛において日本のトルストイである」とたとえた。そのころかれに会ったクリストファー・イシャーウッドは、かれのことを「顔色はきわめて蒼白く、厚い黒のフロックコートに身を包み、トラコーマでただれた目を眼鏡で隠していた、トラコーマのため、かれは握手することを禁じられており、挨拶のためにかれは前腕を差し出した」、と書いている。
 ニューヨーク・タイムズの記者に、賀川は、アメリカで会った人々と同じように、日本には戦争の話をしない多くの人々がいる、と語った。この旅には宗教上の目的があり、政治、経済、外交は無関係である、と賀川と阿部は説明した。それは祈りの旅であるー日米の平和維持の祈りの旅である。「わたしたちはどうすればお役に立てるか考えたのです」、と阿部は言った。「これまでの80年にわたる友情を守るために」。
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2010/08/09

Human Smoke 15

ジョセフ・C・グルー「滞日十年」
 東京で、駐日アメリカ大使が、奇襲攻撃の話を耳にした。「合衆国と話がまとまらないとすれば、日本が真珠湾に奇襲の大攻撃をかける、と日本人の間でもっぱらの噂がある」、と大使、ジョセフ・グルーは日記に書いた。「もちろん、わたしは政府に報告した」。それは1941年1月24日のことだった。

マーチン・ギルバート「チャーチルの戦争メモ」
 チャーチルは戦時内閣あてに「極秘」指令を発した。「日本が参戦すれば、ただちにアメリカがわが国側に立って参戦することがほぼ確実である」、したがってイギリスの計画はそれを前提に樹立するように。
 同時にチャーチルは参謀将校たちに訓示した。兵員の半数が戦死ないし戦傷を受けるまでは戦い続けなければならない、必要があればピストルを使用すること。「戦傷を受けた兵士の名誉は守られる」、「ドイツ兵、またはイタリア兵でも、殺したものは表彰される」、と言った。1941年4月28日のことだった。
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2010/08/05

Human Smoke 14

アラン・アームストロング「先制攻撃
 モーゲンソーは大統領に電話をし、至急お会いしたい、と告げた。-かれは蒋介石から、日本を攻撃したい、という極秘のメッセージを受け取っていた。1940年12月18日のことだった。
 「蒋はまだ戦いたいというのかね?」、ルーズベルト大統領は訊ねた。
 「メッセージはそう言っています」、モーゲンソーが答えた。
 「すばらしい」、ルーズベルトは言った。「それはこの四年間、わたしが言っていることなんだ」。

NYT 1940年12月20日
 中国政府は、最近日本が、三都市に対して伝染病菌を撒布した、と非難した。1940年12月19日のことである。
 東京の帝国政府は真っ向からこれを否定した。日本はそのような手段に頼る必要はない、スポークスマンが言った。むしろ中国側が占領軍の井戸にコレラ菌を放り込んでいる、と反撃した。

アラン・アームストロング「先制攻撃」
 宋博士は、クレア・シェンノートとヘンリー・モーゲンソー邸の食堂にいた。シェンノートは日本空襲を計画していた。1940年12月21日のことだった。
 シェンノートは爆撃1機ごとに、アメリカ人の砲手1名、パイロット1名、技術者5名が必要である、と言った。モーゲンソーは、米陸軍航空隊の現役のなかから割愛できる、と話をした。-法外な手当を出すことを前提にして。月、1000ドルでどうですか?宋と補佐官はイエスと答えた。
 シェンノートは各種の爆撃機について講釈をした。ハドソンはかなりの重量を積んで1000マイル飛べる。東京との往復は1200マイルなので、ハドソンは東京爆撃には使えない。「しかし、長崎、神戸、大阪は射程距離にあります」。フライング・フォートレス(空飛ぶ要塞)ならば東京へ行けますーそして中国に二箇所、フォートレスに必要な滑走路を持つ飛行場があります。
 爆撃機は夜、飛べますか?モーゲンソーが訊ねた。イエス、シェンノートが答えた。爆撃機は夜間飛ばなくてはなりません。昼間飛ぶのに必要な護衛戦闘機の航続距離は、日本まではありません。
 焼夷弾はどうですかね?モーゲンソーが聞いた、「日本の都市はみな木と紙で出来ていますからー」。
 それで行けば大変な損害となるだろう、全員が納得した。そして挨拶をして各々寝室に入った。
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2010/08/01

Human Smoke 13

マイケル・シャラー「中国のアメリカ十字軍、1938-1945」
ジョン・モートン・ブラム「モーゲンソーの日記」
アラン・アームストロング「先制攻撃」


 財務長官のヘンリー・モーゲンソーはルーズベルト大統領と昼食を摂った。そして、T.V.宋に会った。1940年12月8日のことだった。
 モーゲソーは宋に、秘密の話と断って東京その他日本の都市を爆撃できるよう中国を装備する話を持ちだした。
 「宋は、これを歓迎し、おだやかに受け入れた」、とモーゲンソーは日記に書いた。
     
   私はこの話を大統領と論議したわけではないが、それとなくこれは大統領のアイディアだということをつたえた。中国人が日本を爆撃してくれるといいな、とかれが言っていたからである。

 モーゲンソーは空軍基地の話をした。-日本から650マイル以内にあるのが良い。宋からその情報が貰えるか?
 翌日宋は手書きのメモを送った。「中国の空軍問題についての蒋介石将軍の大統領あて秘密メモランダムに関し、わたしはここもと、中国の地図を同封いたします。これは現今、空軍が保有している飛行場の場所を示しています。お役に立てば幸いです」。追伸があった、「もちろん、この地図は極秘です。個人的情報としてお取扱いください」。
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