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2010/07/20

Human Smoke 8

NYT 1938年5月21日
 2機のマーチンB-10爆撃機が、中国の漢口から、アメリカで訓練を受けた操縦士によって長崎へ飛来した。かれらは長崎周辺を1時間半ほど飛び、日本の軍国主義を批判するビラを撒いた。1枚のビラは、この飛行を友好の現れである、と謳っていた。爆撃機は九州を縦断し、佐世保基地上空に達した。
 蒋介石夫人の義兄である首相のH.H.孔は、漢口の航空基地で新聞記者たちと爆撃機の帰還を迎えた。孔はオバーリン・カレッジの卒業生である。孔は油まみれの乗組員に言った。「きみたちは日本の飛行機が中国でやっているように爆弾は落とさなかった。落としたのはビラである。中国は人道主義のチャンピオンだからだ。」それは1938年5月29日のことだった。

エドワード・S・ミラー「オレンジ戦争計画」
ジェームズ・O・リチャードソン「真珠湾への踏み車」

 米海軍の立案グループは、もっとも重要な戦争計画の新しいものを配布した。オレンジ・基本戦争計画である。1939年3月8日のことだった。 
 海軍は、これまで何年もかけてオレンジ計画のバリエーションを練ってきており、それらに多くのページが割かれていた。「オレンジ計画は通告なしに発動される」とこの秘密計画は記していた。「それは長期にわたって継続される戦争に対しての、攻撃的な計画である。」オレンジ計画の国家的使命は:
 オレンジの軍事力を破壊し、オレンジの経済力を破砕することによって、合衆国の意思をオレンジに課し、もってアメリカの内外における国益を保護することにある。
 オレンジとは、日本のことであった。

NYT 1939年5月27日 
 国務長官、コーデル・ハルの要請により、ロッキードは日本に対する航空機の販売を停止した。しかし、それ以前の受注分がまだ到着するので、契約上、組み立て、テストのための社員は日本に残留していた。1939年5月のことである。
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