--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
2010/07/18

Human Smoke 7

NYT 1937年8月31日
NYT 1937年9月1日
ロイヤル・レオナード「わたしは中国のため飛んだ」
NYT 1936年12月17日
NYT 1937年8月8日

 中国航空機が100ポンド爆弾で、日本船隊を破壊しようとしていた。1937年8月30日のことだった。
 揚子江の河口には、巨大なプレジデント・フーバー号が、避難するアメリカ人を満載して停泊していた。中国人パイロットの一人が、フーバー号を日本の輸送船と誤認し、急降下爆撃を加えた。ほかの機もあとにしたがった。乗組員の一人が破片に当たって死亡し、乗客と船員の何人かが負傷した。船には、蒋介石総統夫人と姪が乗船していた。
 空軍大臣の蒋介石夫人は戦慄した。彼女は、夫のパイロット、ロイヤル・レオナードというアメリカ人を呼び寄せた。「あなたに中国空軍の爆撃をみなまかせたい。」と夫人は言った。 
 ロイヤル・レオナードは、喜んで爆撃の指揮をいたします、と返事をした。漢口で、レオナードともう一人の米人、ジュリウス・バーが、100名の生徒を教える新たな爆撃学校を設立した。1000人の労働者が、飛行場の整備に働いた。「夜も昼も、天秤棒で資材を運び、数日間で千ヤードの滑走路が建設された」、とレオナードは回想している。

ロイヤル・レオナード「わたしは中国のため飛んだ」
 引退した陸軍航空士官で、いまは中国のために働いている、クレア・シェンノート大佐は、爆撃術教官のロイヤル・レオナードと自宅のアパートにいた。1937年のある日のことだった。
 「部屋はアメリカ人パイロットでいっぱいだった」、レオナードが回想している。「東京をいますぐ空襲する話題に熱中していた」。
   人数はこの部屋に揃っている。みな操縦と航空術に熟達している。中国は、速くて軽い
   マーチンを買うカネをたくさん持っている。

 しかし計画は中国人に潰された。レオナードはいう、中国人は東京空襲でアメリカ人を巻き込む危険を冒したくなかったのだ。「いいよ」、シェンノートは言った。「いつか叩き潰してやるよ!おれたちがやればいいんだ!」中国人パイロットはかれのことを「レザーフェイス(鉄面皮)」と呼んだ。
スポンサーサイト
未分類 | Comments(0) | Trackback(0)
 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。