--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
2010/07/15

Human Smoke 4

NYT 1935年9月22日
NYT 1935年7月30日
ジョン・へインズ・ホームズ 「自伝」

 ジョン・へインズ・ホームズの反戦ドラマ、「これが裏切りとなるならば」、がコネチカット州のウェストポートで初日を迎えた。それは1935年7月29日のことだった。
 第一幕で、日本海軍が、マニラのアメリカ艦隊に奇襲攻撃をかける。平和主義を掲げて新しく就任した合衆国大統領は、反撃しないことを決断する。血戦と復讐を叫ぶ世論のなか、弾劾を受けることを覚悟して、ゴードン大統領は丸腰のまま個人機で日本へ飛ぶ。日本国民は、この大胆な行動に感激して、軍国主義的リーダーを平和裡に倒し、人民党の、コエという首相を選び、すべては丸くおさまった。
 ホームズは、レジナルド・ローレンスという名もない劇作家の助力で脚本を作った。かれはこの筋書きを、1931年のガンジーの英国訪問にヒントを得て作った、と言った。
 「強烈なドラマ作りに成功した」、とニューヨーク・タイムズは批評した。「その夜の観客は何度も喝采した。」ルイジ・ピランデロ、ジョージ・M・コーハンも観客のなかにいた。 
 東京の主要紙、朝日新聞もドラマのことをつたえた。ザ・ネイションは長い評を載せ、ロンドンのザ・タイムズも報じた。芝居はニューヨークのミュージック・ボックス・シアターで六週間、興行され、そして忘れ去られた。 
 「一つ一つの場面が、日本の真珠湾攻撃を予想していた、という思いがけない、わたしのプライドとなった」、とのちにホームズは書いている。

NYT 1936年2月7日
ロバート・ハリス&ジェレミー・パックスマン「高次元の殺人形式」

 ロンドンの法廷で、帝国化学工業会長のサー・ハリー・マクガワンーウィンストン・チャーチルの親友で投資顧問ーが、武器の貿易を調査している王立委員の質問を受けていた。1936年2月6日のことだった。
 マクガワンは、敵対している諸国ーたとえば、中国と日本、への武器輸出について訊ねられた。「わたしはそれぞれに対する武器輸出に反対はしません」、マクガワンは答えた。「わたしはこれらのことで別に潔癖主義者ではありません。」マクガワンは言う、帝国化学工業は、現在毒ガスは製造していないーしかし政府が要望すれば、いつでも作れます。
 その年の後半、会社はランカシャーに新しいマスタード・ガスの製造工場を作った。
スポンサーサイト
未分類 | Comments(0) | Trackback(0)
 | HOME | 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。