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2009/09/14

Singapore Burning - 第三部 (つづき)

11 (マレー沖海戦その一)
 フィリップスは、フォースZの4隻の駆逐艦のなかでもっとも古く耐久性の乏しいテネドスを一旦シンガポールに戻し、途中、無線を使って、救援の駆逐艦群を基地に要請することを指示していた。艦隊の帰路での日本の潜水艦の待ち伏せ攻撃を警戒したのである。12月10日午前、日本軍はまずこのテネドスを発見し、9機のネル爆撃機が集中攻撃をかけた。テネドスは黒煙に覆われた水飛沫の噴出にその姿を消したと思われたが、被害は少なかった。艦長はフィリップスに攻撃の詳細を伝えた。これがフィリップスへの敵航空機群接近の第一報となったが、このニュースはシンガポールには届かず、依然フィリップスは無線封鎖を続けていた。
 その頃、帆足正音少尉候補生のネル機が戦艦群を発見した。帆足がその位置を報告したあと、その乗機が航空標識となり、航空一、二中隊がかれに続いた。白井義視大尉指揮の美幌航空隊の8機のネルは、3500メートルの高度で飛んでいたが、戦闘配置についた両戦艦からの激しい対空砲火を受けはじめた。白井部隊の標的はレパルスにあるようだった。下士官から借りた望遠鏡をのぞいていたギャラガー記者は、突然の最初の一発の砲撃で、危うく片目が潰れるところだった。レパルスが搭載していたカタパルト発進の飛行機、ウォルラスの機体が舷側に宙吊りになってしまった。タンクに穴が開き燃料が洩れていた。火災予防のため舷側から海中に投棄することになったが、作業は難航した。勇気あるニュージーランド人パイロット、ジンジャー・ホールデン中尉が、クレーンにまたがり、自在かぎを操った。
 日本機は72機を数えた。テネドスで砲弾を無駄遣いした元山航空隊も加わった。高井貞夫大尉の7機の小隊はレパルスを狙い、石原薫大尉の9機はプリンス・オブ・ウェールズを狙った。爆撃主体で来るのか、雷撃で来るのか、英国側は判断に迷った。回避行動のための操艦方法がこの二つでは正反対なのである。砲撃の場合は攻撃に対して横に構える、橋の攻撃と同じで、縦長に攻撃する方が効率が良いからである。雷撃の場合は、投下されたらすぐに魚雷に向かって縦になる。コミング(櫛けずり)という方法である。ロジェー・ハーランド少佐は魚雷攻撃を予測したが、フィリップスは空爆だろう、とこだわっていた。敵機は爆撃機であること以外は考えられない高度を保っていたが、やがて魚雷群を発射しはじめた。プリンス・オブ・ウェールズは英国海軍得意の巧みな操船で、うまく魚雷の航跡をかわしていたが、魚雷の一本がプロペラシャフトの近くに命中し、4本あるシャフトの1本を破壊した。陀輪操作のモーター電力が切断された。機械類のほとんどが狂い、砲塔も手作業で回さざるを得なくなり、対空砲としての役目はほとんど果たせなくなってきた。ロイヤル・ネイビーの最強の戦艦の一つが、傾ける巨大廃棄物と化したのだ。それもアジア人の設計した、アジア人が造った、アジア人の操縦する航空機の一団にやられたのである。そしてより多くの魚雷と爆弾を積んだ、なお少なくとも50機がフォースZに近づいていた。
 レパルスとプリンス・オブ・ウェールズはできれば同時に攻撃を受けたいところだった。そうすれば両艦は自らを防衛しながらお互いを砲撃掩護できたからである。しかし、レパルス攻撃に向かった高井貞夫大尉の中隊は、前の晩、あわや味方の鳥海を誤爆しそうになった経験から、眼下の戦艦群を所在不明だった自軍の金剛とその護衛部隊かも知れない、とやや躊躇したので時間差ができた。猛烈な対空砲火が高井の疑念を払拭した。中隊は14個の魚雷を発射したがレパルスこのすべてをかわし、不死身のようだった。ネル群は魚雷攻撃と同時に船と並行に飛び、機銃掃射を浴びせかけてきた。まだウォルラスを外そうとクレーンに馬乗りになっていたホールデンは、腰のリボルバーで応戦した。RAFはまもなく戦闘機の掩護部隊を寄越してくるにちがいない。テナントは念のため、その日の午前中の、旗艦とシンガポールとの通信傍受記録をチェックした。何と、フィリップスは頑なに無線封鎖を続け、このすさまじい航空機攻撃を受けていることを全く知らせていなかった。午前11時58分、レパルスは平文の簡単なモールス信号を打った。
 レパルスヨリ イズレカノ エイコクカンセンへ
 テキコウクウキ バクゲキチュウ ワガホウノイチ 134NTW 22X09
 プリンス・オブ・ウェールズからは、「船体を制御し得ず」の信号が揚がった。つい1週間も経たぬ前、そのデッキでは、海兵隊バンドが日本領事を含むゲストの前で、「ビヤ樽ポルカ」を演奏していたのである。新しい約50機が集結しつつあった。鹿屋航空隊の26機のベティがいた。これらは増量したマーク・トゥー魚雷を搭載していた。かれらは編隊を崩してプリンス・オブ・ウェールズに襲いかかった。海水をほぼ1万8千トン飲み込んだ新鋭戦艦は、ゆっくりと沈んで行った。レパルスが11時58分に打った無電は、21分かかってパーシバルの司令部に隣接する空軍本部に到着し、6分後、ティム・ヴィゴースと部下10人のオーストラリア人パイロットがスクランブル発進をした。シンガポールのカラン基地の2機のバッファロが加わった。現場到着は約1時間後と読まれた。
 フィリップス艦隊上空には、未使用の魚雷をかかえた20機のベティが、「幌馬車を取り巻くインディアン」のように旋回を続けていた。
 
 

 
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