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2009/08/01

Singapore Burning - 本書の批評と著者のプロフィール

「シンガポール炎上」の批評
  「なんという役柄だ。コリン・スミスは歴史家であると同時に素晴らしい作家であり(かれは第一次世界大戦中のパレスチナを題材にした、恐るべき物語、最後の十字軍を著している)、ストーリーをどう盛り上げて行くか熟知している。主な主題はここにすべてある。連合軍、そして日本軍のうぬぼれ、また勇気、犠牲者の悲哀‐罪なきマレー人、中国人の農民から白人たちの甘やかされていた奥方たちに至るまで・・。または帝国防衛のため、満足にライフルを抱えることもできず、はじめて軍靴を履くことになった、呆然としているうちに戦闘に放り込まれたインド人徴募兵・・。シンガポール炎上は、個人の記録、そして未公開の資料一杯のまことに厚みのある本である。物語は美しく、鋭く語られ、登場人物の評価は公平で、ときにホロ苦いユーモアで彩られる。この大変なドラマの決定版というべきである。」   パトリック・ビショップ、ザ・デイリー・テレグラフ

  「・・マレー半島北部に上陸した侵入者が、混乱のうちに陥落する都市へ情け容赦なく進軍する数週間を描いた叙事詩・・鮮やかにその姿を現わした出来事の数々に、それぞれ意味を与えることは決して楽な仕事ではなかったろうが、スミスは鮮やかに、数百という個々の物語を織り上げ、全体を凝集させることに成功している。」   ニック・レニソン、ザ・サンデー・タイムズ

  「スミスは生き生きと語っている・・今やまず、特別心に響く恐るべき人間悲劇を、素晴らしい歴史物語として。」   トム・バコック、ザ・リテラリー・レビュー

  「・・卓越した、正確な敗北の記録。」   サリル・トリパティ、ジ・インディペンダント

  「かれは秘史を語るに鋭い眼を持つ、そして注意深く情景を準備し、自身の解釈を加える。その文章は格調高く人を惹き入れる。オーストラリア人にはよく知られた事実、たとえばバクリでの戦車の待ち伏せ攻撃、ないしバンカ島での看護婦たちの射殺、またシスター・ブルウィンケルの逃亡などについても、新鮮味のある描写をしている。」  ハンク・ネルソン、ブック・トーク、オーストラリア放送会社

  「1941年12月7日から1942年2月15日、シンガポールが公式に降伏するまでの、同市へ向けての正確な進軍の記録・・戦って捕虜となった多くのものたちに、何が起ころうとしていたのか、それを問うことは、今やそれほど愚かなことではなさそうである。・・この難問を今一度考えるにあたって、この本は良い機会を提供してくれる。」   マイケル・セクストン、シドニー・モーニング・ヘラルド


著者のプロフィール「コリンについて」 (コリン・スミスHPより)
  「シンガポール陥落」などの戦記の著者であるコリン・スミスは、イングランドのウェスト・ミドランドで育ち、サットン・コールドフィールドにあるジョン・ウィルモット・グラマースクールに通った。16歳になる直前、英国通信隊ジュニア・リーダー連隊に入隊した。2年後、親切な従兄弟が除隊手続きを採ってくれ、見習い記者としてガーンジー・イブニング・プレス社に入社することになった。(戦友の伯父が編集者だった。)その後いくつか地域の新聞社に勤め、1968年、バーミンガム・ポストとデイリ-スケッチ社で仕事をしたのち、デビッド・アスターのオブザーバーに入社した。23歳であった。
 アフリカとアイルランドでの冒険、また当時東パキスタンと呼ばれたベンガルの動乱で初めて怒りの健筆を振るったあと、1972年、かれはオブザーバーの主任移動レポーターとなり、次の30年間、さまざまな紛争の現場に居合わせた。たとえば1973年の中東戦争。ゴラン高原の初期のイスラエル紛争で、かれは自らのフォード・エスコートが武装反撃の主要目標となってしまっていたことに気が付かなかったほどの、命からがらの体験をした。プノン・ペン包囲の際、メコン河沿いの封鎖破壊のための韓国老朽船に仕かけられたクメール・ルージュの待ち伏せ攻撃。キプロスのトルコ軍侵入。サイゴン陥落。このときかれは、最後のアメリカのヘリコプターが大使館の屋根から出発したところ、そしてそれから間もなく、最初の北ベトナムの戦車が大統領官邸に到着したところ、を目撃している。長期間のレバノン内戦。イラン革命とシャーの逃亡。イラン=イラク戦争。サダム側の強面(こわもて)の報道監督官が、イラク軍の所在を明らかにしなかったので、思いのほか、ホメイニの革命軍寄りになった。イスラエルのレバノン侵攻とベイルートの包囲(これは、かれのフォークランド行きを阻止してしまった)。ハイチとフィジーの革命。第一次湾岸戦争。クウェート市からマトラ尾根沿いに撤退するイラク軍を虐殺した米軍の空爆に関するかれの記述は、この戦争についての三つの選集となって出版された。サラエボ攻略の第一弾が放たれたとき、かれはボスニアにいた。そしてそこに長期滞在したのち、かれはワシントンDCに異動させられたが、「ザ・ガーディアン」へのその売却にともなって、最終的に「オブザーバー」と別れることになった。
  その後、ザ・サンデー・タイムズに、アルジェリアのイスラム過激派、ルワンダの大殺戮に刺激されてテロルの問題を寄稿したが、アデン港における米国船コールに対する攻撃の報道のためにイエーメンに出かけた。第二次湾岸戦争では、サダムのイスラエル向けロケット攻撃のガス、または生物兵器搭載が大いに懸念されたので、かれはガス・マスク、NBC(核、生物、化学兵器)防護服一式を取り揃え、エルサレムに送った。しかし全く幸いなことに、かれの目撃した唯一の作戦行動は、アメリカン・コロニー・ホテルのバーでの出来事だけだった。かれは2回、ブリティッシュ・プレス・アウォード(英国報道賞)のインターナショナル・レポーター・オブ・ジ・イヤー(1974及び1984)を受賞している。1974年の受賞理由について、審判員は、シンバイオニーズ(共生)解放軍による大富豪の娘、パトリシア・ハーストの誘拐、隔離事件に関する、カリフォルニアからの3部よりなる長編のオブザーバーへの寄稿を、とくに挙げている。
  最近の数年は、1970年代、オブザーバーの中東特派員として最初に根拠地をおいたニコシアに、妻のシルビアとともに移り住み、おおむね歴史を主題としたフィクション、ノン・フィクションの本を執筆している。最新作は、評判高い「シンガポール陥落」で、これは、1942年2月、最終的にシンガポールの降伏で終わったマレー半島全域でのイギリスと日本の戦闘を、詳細にわたる調査で描いたノン・フィクションである。「何という役柄だ・・・(前掲)」と、デイリー・テレグラフのパトリック・ビショップは書いている。「物語は美しく、鋭く語られ、登場人物の評価は公平で、ときにホロ苦いユーモアで彩られる」。
  かれの最初の作品は、「カルロスーテロリストの肖像」で、ベネズエラ人カルロスのウィーンのOPEC本部襲撃と石油相らの誘拐事件を取り上げて、「オブザーバー・レビュー」の1面のシリーズとして3部にわたって連載された。1995年、カルロスの逮捕のあと、内容は一新、修正され、マンダリン・ペーパーバックとして再刊された。1979、1980年には、ロンドン、キプロス、ベイルートで発生したテロとその原因を追究した小説、「カットアウト(遮断)」が、ロンドンのアンドレ・ドイッチェと、ニューヨークのヴァイキングから出版された。1990年の「最後の十字軍」は、1917年、聖地における回教徒の世紀を終焉させた、アレンビー将軍のパレスチナ戦線を主題とした歴史小説であるが、サンデー・タイムズは、「・・・昂奮し、感動し、複雑な気持ちになるが、挑戦的な作品である。最近の批評家のだれかがいう、[貧血気味の、調子は整っているが、だらけたミニチュアといったイギリスの小説]とは、はるかに遠いところにある」、と絶賛した。
  1999年には、もとBBCジャーナリスト、ジョン・ビアマンと共著で、「ファイア・イン・ザ・ナイト:ビルマ、エチオピアそしてシオンのウィンゲート」を出版した。これは、奇行で知られる英国の将軍、オード・ウィンゲートの伝記であるが、英米で大いに評判になった。同様に、「アラメインー憎悪なき戦い」(やはりジョン・ビアマンとの共著)は、イギリスの卓越した軍事史家、サー・ジョン・キーガンが、「素晴らしい作品」と評している。
  さまざまな書店で話題を提供するとともに、かれは、マレーと北アフリカ戦線についてBBCラジオで頻繁に講話を行い、またオーストラリアと北米の放送キャスターの長いインタビューに応じている。今年、かれは、チェルトナム文学祭に二度目の出演をし、「ヒロイズムと怯懦」というディベートで、3人のパネリストの一人を務めている。
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