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2009/06/09

Alliance - 20 (つづき)

Ⅸ 2月10日
 夕刻、ルーズベルトはスターリンと会い、秘密協定の確認をした。ソ連はドイツ敗北後、2-3ヶ月後に極東の戦争に参加する。見返りに、外蒙古の継続支配、樺太、千島諸島の返還、鉄道の中ソ共同運営を含む満洲の租借、大連の国際管理、旅順港の海軍基地保有が認めれらる。同様にクレムリンは蒋介石と、かれを政府首班と認め、満洲に対する中国の主権を認める協定に署名する。
 ルーズベルトがその同意を取ると約束した蒋介石は、その後4ヶ月、正式な伝達を受けていなかった。最終的にそれを知らされたとき、総統は、日記に、「深く傷ついただけでなく、中国国民は・・絶対絶命の窮地に追い込まれた」、と書いた。
 ポーランド問題で、イーデンは、幅広い民主的基盤のもとに暫定政府を再編する、という草案を読み上げた。草案は国境問題に全く触れていなかった。チャーチルはポーランドの拡張を西側のどこで止めるかを問題にした。スターリンの提案したラインでは人口移動の規模が大きくなり過ぎる。ポーランドは「西方において相当規模の領土を継承する、ただし最終的な国境確定は戦後の平和会議を待つ」というイギリス案をスターリンは了承した。
 ドイツの賠償問題になった。チャーチルは戦時内閣から数字の議論はしないよう伝えられていた。スターリンは、戦費は200億ドルで、モスクワはその半分を取る、と言った。チャーチルは、それはドイツの支払能力を超える。ソ連の100億ドルの要請には反対する、という議事録を作り、賠償委員会に報告する、ということになった。ルーズベルトが、エジプトのファルーク王、エチオピアのハイレ・セラシェ皇帝、サウジアラビアのイブン・サウド王に会うため中座する、と言ったとき、チャーチルは一旦引き止めた。「フランクリン、いま大事な話だから行っちゃ駄目ですよ」。チャーチルは大統領が中東におけるイギリスの地位を浸食しようとしているのではないか、と気にかかった。のち三人の君主には、自分自身との面談を準備するようメッセージを送った。

Ⅹ 2月11日
朝食のとき、チャーチルは主治医のモランに、ルーズベルトの体調が非常に悪いようにみえる、と話をした。医者は、ルーズベルトが理解力を失っているようにみえる、と述べた。「連合軍は、ドイツの軍国主義とナチズムを打倒し、二度と世界平和を撹乱することがないことを保証する」という確固たる目的が、ビッグスリーのコミュニケにうたわれた。ドイツは無条件降伏が課される、武装解除される、軍事目的に使用されたすべての工場は移転ないし破壊される、戦争犯罪人は速やかに法廷に引き出される・・連合軍は占領地区を各々確保し、フランスにも一つが与えられる。大西洋憲章を想い起して、解放された国々は、「自らの政府の形態を選択する全ての人々の権利、及び主権と自治の回復」にその基礎を置かなければならない、と宣言された。モロトフは、スターリンに、これは内政干渉を招く、と注意したがスターリンは取り合わなかった。自由選挙で共産主義者が勝利する、と信じているのだ、とハリマンは思った。声明はほかの部分で、4月25日にサンフランシスコで国際連合の総会を開催することを決めていた。
 ヤルタ会談は悪評の的になった。とくに招かれなかったフランスが、ビッグスリーがヨーロッパを切り分け、冷戦の基礎を築いた、と酷評した。のちにマッカーシー一派のルーズベルトに対する告発状の主要項目となり、共和党からは秘密の売国行為と弾劾された。半世紀のち、ジョージ・W・ブッシュは、「ミュンヘンは繰り返さない、ヤルタは繰り返さない」、と宣言した。中国問題での取引は、1949年、共産主義者が中国を制覇するまではだれも問題にしなかった。しかしこのとき、4人目の警察官が失われたことで、ヤルタの取引は非難を浴びることになった。参加した各国はそれなりに満足感があったとしても、西側にとって、それが錯覚であったことがやがて明らかになる。
 ソ連は大きく領土を広げ、西方の国境で奥深い安全地帯を確保した。それはヒトラーから得たもの以上であり、バルト海からアドリア海までを思いのままにするものだった。極東でも欲しいものを手に入れた。国際連合の票決に関する協定は、モスクワに対して敵対行動が取れないことを保証した。スターリンに敵対するということは、同盟の連携が粉砕されること、アメリカの世論が世界に背を向けるという二つのリスクを冒すことになる。ジョージ・ケナンは、クレムリンと取引すべきではない、と主張したが、3年の同盟関係を経て、受け入れられるものではなかった。ワシントンの支配層は、モスクワの協力なくして戦争は終わらない、と信じていた。アンクル・ジョーとその体制の本質を認めることは、ルーズベルトが手元に切り札を持っていなかったことの証(あかし)でもある。1千万もの強力なソビエト軍に対抗できる軍隊はヨーロッパに存在していなかった。有権者は戦争の終わる日を心待ちにしており、ルーズベルトは世界に新体制を齎(もたら)す夢の実現に、自らの時間があまり残されていないことを知っていた。
 
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