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2009/06/08

Alliance - 20 (つづき)

Ⅵ 2月7日
 全体会議はスターリンの要望で国際機構の話から始まった。モロトフは安全保障委員会の票決についてアメリカ案を了承する、と述べた。総会について、ソ連邦内の共和国16の追加議席を要求するモスクワ案に対し、ルーズベルトは合衆国の全州、48の議席を貰うと言った。ソ連の共和国は外交権限を持たない、1942年の連合国共同宣言に署名していない、などの反論が用意されていた。チャーチルは英国自治領とインドに総会議席を持たせたいと思っていたので、この問題では狡猾に立ち回った。外相会議では、白ロシア〔ベラルーシ)とウクライナの二議席の追加が合意された。ルーズベルトは票決問題で蒋介石の了解を電信で取っておくようステテニアスに指示をした。
 ポーランド問題について、モロトフはルブリン・グループと連絡が取れないので、ヤルタには呼べない、という戦術を取った。今後、モスクワでクラーク・カー(英国大使)、ハリマン(米国大使)とモロトフで協議するのがよかろう。

Ⅶ 2月8日
 午後、スターリンはルーズベルトを訪ねた。ルーズベルトは自室で、娘と昼食を済ませたところだった。話は極東問題となった。ルーズベルトは、日本との戦争はドイツ敗北後、1年くらいは続くだろうと思っていた。東京が空爆で降参することを期待していたが、日本人は最後まで戦う決意のようだった。しかしアジアで赤軍が活動することも大いに心配ではあった。
 スターリンは自らの条件を開陳した。千島列島と南樺太、満洲における鉄道に対する帝政時代の権利回復、その鉄路の終点である大連港、を要求した。鉄道の譲渡なくして「なぜロシアが日本との戦争に参加したのか、国民に説明できない」。
 本会議ではまたポーランドが討議された。チャーチルはルブリン委員会が代表権を持っているとは認めがたい、ロンドンの政府を無視すれば国際的抗議を喚び海外在住ポーランド人の一致した反対に会うだろうと述べた。スターリンはこれら意見を聞き流した。

Ⅷ 2月9日
 午後4時、リバディアの中庭で三人は写真を撮った。チャーチルがロシアの毛皮帽を被っていたことが笑いを誘った。カメラマンはロバート・ホプキンスである。テヘランで顔を合わせたことのあるスターリンはロバートを手招きした。「きみのやりたいことは?」と聞いた。「ベルリンでアメリカ人写真家として一番乗りしたいです」、と答えた。しかし米軍はまだ街から遠いですよね。赤軍といっしょになったらどうかね、スターリンは言った。そんなことできるんですか?「わたしの方の手続きはわたしがやる」、スターリンは請合った。握手をして戻り、父親の寝室に行ってニュースを伝えると、ホプキンスは反対した。戦場には行けても写真は禁じられるだろう、それが出来ても写真は持ち帰れないだろう。ロバートはスターリンンに伝えた。かれは肩をすくめた。
 全体会議でモロトフは、「現在のポーランド暫定政府は国内及び海外在住のものを含む、幅広い民主的基盤の上に再編成すべきである」という新しい言葉による提案を行った。ルーズベルトはこれでかれらは合意する、と言った。ポーランド人が自由に行動できることを、アメリカのポーランド人有権者に保証する必要がある。チャーチルはそこに監視者が必要である、と言い、ギリシャではソビエトの監視者を歓迎する、とつけ加えた。代償を払わされることを回避して、スターリンはギリシャではイギリスを完全に信頼している、と言った。ミコワイチクの復帰は認められますか?チャーチルが訊ねた。かれは非ファシスト政党に所属したので選挙に参加できます、とスターリンは答えた。

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