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2009/05/30

Alliance - 14 (つづき)

Ⅱ 11月29日
 午前、ブルック(英)、ヴォロシーロフ(ソ)、マーシャル(米)の軍事トップが集まった。英国はイタリア攻撃を主張した。アメリカは欧州に160万、太平洋に180万の兵力が展開できる、ただ輸送に問題がある、と言った。ソビエトは西側連合軍が本当に海峡横断作戦をするのか、確認したかった。
 午後、スターリンはルーズベルトとの二度目の非公式会談を行った。ソ連のアジア地区沿岸に、日本空爆のための1000機までの4発爆撃機を収容する空軍基地の提供について覚書がまとまった。戦後の国際機構の話が続いた。大西洋憲章に署名した35ヶ国は創設メンバーとなり定期的に会合する。合衆国、ソ連、英国、中国、プラス欧州から二国、南米から一国、極東から一国、近東から一国、英国自治領から一国で構成する小グループに勧告を提出する。スターリンは、ヨーロッパの小国が中国の存在に抵抗するだろう、英米ソ、にヨーロッパの一国を入れて切り離した方がよい、と言った。しかしアメリカ議会が、必要に応じて米軍に大西洋を横断して欲しい、とするヨーロッパ・グループへのアメリカの参加を望むだろうか?立法府に関するルーズベルトの説明はスターリンには伝わらなかった。かれはアメリカの政治システムを全く理解できないようだった。
 主会議場に三リーダーが集まった。オーケストラがそれぞれの国家を演奏した。チャーチルからスターリンへ、「鋼鉄の精神を抱くスターリングラードの市民」へ捧げる両刃の大きな十字剣が贈呈された。「スターリングラード市民を代表し、深甚な謝意を表明するものです」、スターリンは剣に接吻した。独裁者の目に浮かぶ涙がみられた。うしろにいるヴォロシーロフに手渡すときに、剣が鞘から抜けた。それが床に落ちたのか、ヴォロシーロフがうまく受け止めたのか、よくわからなかった。その夜の晩餐で、スターリンはチャーチルを標的にした。挑発のあまり、チャーチルは退場してしまったが何とか連れ戻した。

Ⅲ 11月30日
 午前、チャーチルはスターリンと会った。これからいうことはアメリカ人を非難する意味ではない、と冒頭に言った。ルーズベルトはビルマ上陸を希望しているが、それを中止すれば地中海、ノルマンディ双方の上陸作戦に充分な船舶が確保される。合衆国は太平洋に神経質になっており、カイロでは蒋介石が出席したために中国問題が主流になってしまった。オーバーロードに戻して、チャーチルは英国の準備状況について説明した。そしてイタリア戦線での大規模作戦も希望する、と述べた。
 正午、幕僚長たちの軍事会議の勧告書がルーズベルトとチャーチルに伝えられた。「イタリアではピサとリミニを結ぶ線にまで進出する。作戦に使用の戦車搭載船舶は、1月中旬までにオーバーロードのために送り返す。南フランスに舟艇の利用が可能であるかぎりの規模で、オーバーロードと同じ日に上陸する。オーバーロードは5月中に実施する、とスターリンに伝える」。
 その夜、英国公使館でチャーチルの誕生パーティーが催された。チャーチルはルーズベルトを右に、スターリンを左にして座った。反対側には、イーデン、モロトフ、ホプキンスが座った。家族席には、エリオット・ルーズベルト、ロバート・ホプキンス、サラとランドルフ・チャーチルがいた。三巨頭はたがいに杯をあげた。偉大なるスターリン!、これぞ大統領、ルーズベルト、わたしの親友、などの乾杯が行き交った。スターリンがホストに、「わたしの偉大な友だちと呼んでもいいか」と訊ねると、「ウィンストンと呼んでくれ」と答が返ってきた。チャーチルがホプキンスに乾杯すると、ルーズベルトは「ディア・ハリー、きみがいなかったら、ぼくたちはどうすれば良いだろうか?」と言った。通訳のチャールズ・ボーレンは、ルーズベルトのもっとも親密な補佐官に対する謝意の言葉を聞いた唯一の機会だった、と回想している。ルーズベルトは、戦争の結果は、世界中のさまざまな濃淡、陰影、色彩を、希望の名のもとに個体性を失わせる一つの「虹」に混ぜ合わすことになるだろう、と言った。
 ルーズベルトもチャーチルも赤とはいわないまでも、この夕食でピンク色に染まった、とだれかが論評した。ピンクの頬は健康の証拠、とスターリンが片棒を担いだ。
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