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2009/05/24

Alliance - 9 モスクワの夜は更けて(ミッドナイト・イン・モスコー)

 モスクワ
 1942年8月
ーあの男に侮辱された。これからは、一人で戦うことだね。   チャーチル


 チャーチルは、今回は「ミスター・グリーン」というコード・ネームで、アメリカのB24改造爆撃機で、カイロ、テヘラン経由、モスクワに到着した。モロトフが出迎え、短いスピーチのあと、チャーチルは儀杖兵ひとりひとりの顔を覗きこむように閲兵をした。宿泊先のスターリンのダーチャ(別荘)に入った。チャーチルがバスルームに入ったのち、同行の主治医ウィルソンは叫び声を聞いた。首相はバスタブに坐り悪態をついていた。蛇口のキリル文字の意味がわからず、かれは冷水を浴びたのだった。
 夜、チャーチルはクレムリンを訪れた。スターリンはモロトフ、ヴォロシーロフ元帥と通訳とで待っていた。「ようこそモスクワへ、首相閣下」、スターリンは無表情に挨拶した。チャーチルは満面に笑みを浮かべた。スターリンは、前線のニュースが「冴えない」と言い、問題は単純だ、西側はナチスの矛先を変えるのに何をすれば良いのか、だけなのだ、と言った。「第二戦線の話をしたいのですね?」、チャーチルの質問に「ご随意に」と答えた。チャーチルは、モロトフのロンドン訪問の最後に渡した覚書で、1942年に海峡を渡る約束は何もしていない、と言及し、しかし、翌年の実行のためにロンドンとワシントンが27個師団を準備中である、と伝えた。 チャーチルは海峡横断作戦の難しさは、1940年にヒトラーが英国侵攻できなかったことを例に挙げた。「いまの状況には当てはまりませんよ」、スターリンは言った。「英国は国を挙げて抵抗するだろうが、フランス人は大歓迎するだろう」。
 チャーチルは、第二戦線は北フランスばかりとは限らない、とトーチ作戦の概要を話した。時期について質問があり、おそくとも10月末まで、と返事をした。モロトフは9月の方が良いだろう、と口をはさんだ。「神よ、この試みを成功させたまえ」、とかつての神学生、いまの無神論共産国家の首領が叫んだ。
 第二回会談でソ連の態度は変った。ソ連側は、フランスの1942年における第二戦線の開設は、モロトフ訪問時に明確に合意されていた、と主張した。チャーチルの覚書への言及はまったくなかった。スターリンは最高に不愉快な状態にあるように見えた。論議は平行線をたどった。翌夕のクレムリンの宴会で、スターリンは、チャーチルがロシア内乱のときに、ボルシェビキに敵対干渉をしていたことを思い出させた。それには色々わけがある、「赦してもらえますか?」チャーチルは訊ねた。「みなもう済んだことです。済んだことは神様のものなんですよ」、と答がかえってきた。
 午前1時30分、チャーチルは立ち上がり、意味ありげに「さようなら」と告げた。ダーチャに戻ったチャーチルは、相手から新しい動きがないかぎり、話は終わらせるつもりだった。
 一触即発の雰囲気のなかで、鍵を握ったのは駐ソ、英国大使のクラーク・カーだった。かれは当初のチャーチルたちの楽観論にタテついたのでチャーチルに嫌われ、第二回会談以降同席を禁じられていた。チャーチルの弱点の一つは、まわりにイエス・マンが多すぎ、「聞きたい話だけを聞いているのだ」。クラーク・カーは翌朝散歩しているチャーチルをつかまえて説得した。「あの男はわたしを侮辱した、これからは一人で戦争するのだ」。スターリンが単独で戦うことになって、ロシアが負けたらどうなりますか?どれだけのイギリス、アメリカの若い生命が犠牲になるか・・?クラーク・カーは注意した。ロシアを見棄てると、チャーチルはソ連をナチスに進呈した男となり、政治生命はそこで絶たれると。
 チャーチルは再度スターリンに会った。言葉の問題を懸念して、チャーチルは通訳を大使館スタッフの武官、バース少佐に変えた。スターリンは通訳を見て目を細めた。第二戦線の話が蒸し返された。
 だんだんとスターリンの気分が晴れてきたようだった。「クレムリンのわたしのアパートで一杯やりませんか?」「そういうお誘いは断ったことがありません」。スターリンの住居に向かった。16歳の赤毛の娘、スヴェトラーナがお客に挨拶をした。両者は意気投合し、コミュニケの作成のために英文タイプライターが持ち込まれ、バースが清書した。二国政府は、ヒトラー打倒に全力を尽くす、会談では「至情と完璧な誠意」が示され、「ソビエト連邦、大英帝国、アメリカ合衆国の同盟関係のもとに緊密な友情と相互理解」が再確認された。
 チャーチルはルーズベルトに、「アンクル・ジョーを袋に閉じ込めた」と打電した。しかし、クレムリンの一夜の盛宴がソビエトの疑念を払拭するものではなかった。ケンブリッジ卒業生によるモスクワのスパイ網が、チャーチルの反ソ的陰謀の証拠を捉え損なったとき、モスクワは、フィルビー、バージェス、マクリーンその他を英国の二重スパイである、と断定した。
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